小五郎山(1162m)

【前書き】
 小五郎山は紅葉が綺麗みたいなので登ろうと考えていました。調べていると従来の向峠からのコースだけでなく、小五郎山金山谷鉱山ルート開拓団の方々が2009年4月に開通させたコースがあることが分かりました。このコースは、平安時代から掘られていた銅、金、銀が目的と思われる鉱山跡があることが特徴です。小五郎山甲羅ヶ谷一帯の山林を保有する山本誉さんが提供された駐車場もあるということで行ってみることにしました。
 今回は、金山谷の奥の甲羅ヶ谷登山口に車を置いて登り、小五郎山から向峠に下った後に歩いて甲羅ヶ谷登山口に戻る周回コースを歩きました。

【年月日】’10.11.13(土)
【コースタイム】甲羅ヶ谷登山口(8:15)→オンドル跡(8:30)→大栂入口(8:55)→大栂(9:10)→大栂入口(9:30)
          →寺床(9:40)→展望所(9:55)→坑道(10:40)→小五郎山(11:00-15)→林道(12:25)
          →向峠にこにこ市(12:45)→深谷大橋(13:05)→甲羅ヶ谷登山口(14:30)

【同行者】単独

【写真と解説】


 登山口の金山谷に行く道は少し狭いです。対向車が来たら嫌だな、と思いながら進みましたが、幸いに来ませんでした。細い道で約5kmです。向峠に下山後は、深谷大橋を渡って、歩いて登山口まで戻ります。向峠から7〜8km歩くことになります。
 写真は甲羅ヶ谷登山口というべきか、金山谷登山口というべきか、駐車場です。写真では広く見えますが、思ったよりも狭いです。
 写真の舗装された道をそのまま進んで、ジグザグに登っていけば登山口があります。


 今日の目的は、鉱山の跡を見て、山頂から向峠に下山中に紅葉を眺めることです。
 熊に備えて今日は鈴を持参しました。


 寺床付近の登山道です。左の崖の上に修験者の住居跡?があったようです。ここに来る前に大栂の案内板があったので見に行きました。登山道から350mで往復に30分程度掛かります。
 麓の植林帯を抜けてから、ここまでの森は非常に綺麗です。黄葉です。薄い緑と黄色い光の中で歩くこと自体が非常に楽しく感じました。こんな森は久々です。鉱山跡を見るのが目的でしたが、この森は絶品です。


 坑道入口です。登山道から少し外れますが、ほんの少しです。ヘッドランプは常に持参しているので中に入るのが楽しみです。


 入口を入って直ぐ右に立抗があります。立抗の中は真っ暗で覗き込むのも怖いです。
 水平道は左側に進んでいきます。5mも入ると真っ暗です。一人だと怖くて5mも入るのがやっとです。中は思ったよりも広くて、少し背を屈めれば相当奥まで行けるのではないかと思います。今のように地質学があったわけでもないのに鉱脈を見つける技術があったとは凄いものです。これを掘る技術も凄いですね。照明は蝋燭を使ったのでしょうか。佐渡銀山の工夫は30歳くらいまでに死んでいたようですが、ここの工夫はどうだったのでしょう。どういう人が掘っていたのでしょう。考えるときりがありません。


 坑道跡あたりから上は、ほとんど落葉していました。山頂です。今日は激しい黄砂。周囲の風景は白く濁って写真に撮れる状況ではありません。
 小五郎山には寂地山、右谷山から続く縦走コースも繋がっています。


 向峠、南側に下って行きます。道も良いです。終わりかけた紅葉です。左下が十王山です。
 一週間早ければ、もう少し綺麗だったと思うのですが、残念です。


 写真奥右が寂地山、左が右谷山だと思うのですが、良く分かりません。
 この日は向峠側から3組の人が登って来ました。金山谷からは私一人でした。森を歩く楽しさは、圧倒的に金山谷の方だと思いました。遠くの景色を楽しむなら向峠側でしょうか。標高600mより下の紅葉は真っ盛りでした。


 林道に出て、向峠にこにこ市まで降りてきました。金山谷登山口に戻る道を詳しく確認していなかったので少し不安。深谷大橋方面1.5kmだったかの看板があったので、取り敢えずそっち方向に。
 深谷大橋は観光道路も兼ねているんですね。橋の西側に駐車場があって、深谷渓谷を観賞する遊歩道もあります。深谷大橋の上から撮った深谷渓谷です。車が通る普通の鉄骨でできた橋なのですが、高所恐怖症なので非常に怖いです。登山口はこの渓谷の4〜5km上流です。登山口からさらに上流には長瀬峡があります。

【後書き】
 小五郎山を周回コースで歩きました。金山谷からの登山コースは非常に良かったです。私の想像ですが、あの木々は昔、炭焼き用に人間が植えた木ではないかと思います。福岡の背振山系にもそういう場所がありました。人間との共存ですね。
 登山口に戻って、駐車場横の家のおじさんと少し話をしました。炭を焼いておられました。昔、親に聞いたところによると私の祖父も島根の山で炭を焼いていたそうです。商売ではなくて、自給自足です。昔は、正面の田んぼで米を作り、裏山で柴を取ったり、炭を焼いたりする。これが普通の生活でした。

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